7. 政治の「新世界」とニュースピーク
2017年の大統領選挙でエマニュエル・マクロンが大方の予想を覆して当選したとき,彼が唱えた種々の主張の中で有権者に対するインパクトが最も大きかったものの一つが,「既存政治を一新」するため,従来の有力政治家を退陣させて,「新しい世界nouveau monde」の到来を可能にする,というものがあった。そうしたスローガンを象徴する用語として注目を集めたのは,「刷新renouvellement」であり「(既存の政党や政治家の)退陣dégagisme」であった。そして「責任をもってこうした破壊的創造をもたらす変貌を実現するためには,共同建設の精神に立ってエネルギーの解放を目指さなければならないil faut assumer cette transformation disruptive pour libérer les énergies dans un esprit de coconstruction」—政府が進めようとしていたフランス国鉄の改革や,大学への進学条件の見直しに反対する大規模なデモを前にして,マクロンがこのような言辞を弄したとしても,とくに驚く人はいなかったであろう。2018年3月23日付の『ル・モンド』は,「改革を推進するためにマクロンが選んだ言葉Macron et les mots choisis de la réforme」と題する記事をこのように書き出している。
ここにはdisruptifという形容詞の特異な用法を別にすれば,英語の単語は登場していない。しかし,「世論やマスコミの批判を浴びても責任をもって推進する」というニュアンスを持つ動詞assumerや,coconstructionという,意味は分かるが普通のフランス語辞書には採用されていない語の使用など,さらにはlibérer les énergiesといういかにも「新鮮な印象を与える」言い回しなど,どれをとっても伝統的な政治家のレトリックとは明らかに異なる。そうした「新しさ」こそが,「新世界」を目指すマクロンが与党に広く支持されるゆえんである。
そうした新しい言説を特徴づけているのは,「真実を直視することlangage de vérité」,「合理化の追求recherche de la rationalisation(「有効性の義務devoir de l’efficacité」という),「競争力の確保(devoir de la) compétitivité」,「教育的配慮travail de pédagogie」などの言葉ないし表現である。大統領だけでなく,フィリップ内閣の閣僚が競ってこうした言葉遣いを取り入れている。
これも別の機会にすでに書いたことだが,マクロンは西洋古典に深く精通し,高等師範学校への進学を目指したこともある教養人であり,かなり特殊なレトリックを使う。たとえば他動詞であるfaireとかtransformerを自動詞のように使ったり,agirとかavancerなどの動詞を目的補語なしに,それだけで完結しているかのように用いたりする(「絶対的用法emploi absolu」という)。一方で,古典や文学に関する知識を持たないと本当の意味がつかめない単語や言い回しを好んで用いるが,他方では「企業文化culture de l’entreprise」に大きく影響されて,合理性とか利潤の論理に基づいたビジネス・ニュースピークnovlangue du businessを自由に使いこなす。
確かに,文学的素養はマクロンや彼の支持者たちの言説に「趣味の良いbon goût」外観を与えている。それはサルコジ元大統領やヴォーキエ共和党首をはじめとして,「国民戦線FN」党首マリーヌ・ル・ペンMarine Le Penとか「反抗するフランスFI」の指導者ジャン=リュック・メランションJean-Luc Mélenchonの攻撃的で庶民的agressif et populaireな言葉遣いと対照をなすものである。
そればかりか,マクロンは好んで古めかしいとしか言いようのない言い回しや単語を用いるし,フランス人でも辞書で調べないと意味が分からないような特殊な用語を用いることさえある(一つの例を挙げると哲学者ポール・リクールPaul Ricoeurに独自の用語であるipséité(『ロワイヤル仏和』は哲学用語と断ったうえで,「そのもの性,自己同一性」という訳を示している)を種々の機会に利用して,一部のウェブサイトで揶揄された)。このipséitéについて,2018年2月2日付『ル・パリジアン』紙は,同じくマクロンの発言にしばしば登場する心理学用語のrémanence(「残像,残感覚」)とか医学用語のidiosyncrasie(「特異体質,特異な性質」)よりもさらに珍しい語であるとしている。
こうした教養をひけらかすような発言は,多くの失言や一部マスコミ関係者との過度に親密な関係が厳しい批判を浴びたフランソワ・オランドや,俗語的な表現を多用することをためらわないニコラ・サルコジという直接の前任者ふたりとの違いを際立たせ,大統領の権威を強調しようとする広報戦略の一環と解釈されている。しかし「理論化された衒学趣味pédantisme théorisé」が,逆にマクロンのイメージを傷つける危険をはらんでいることも明らかである。なぜなら,彼とその支持者たちが何よりも重要視した既存政治家やエリートの支配に終止符を打ち,「国民に近い新しい指導者」として振舞ううえで,文学や哲学の分野における深い教養を前面に出すことは不利だからである。マクロンが時として,俗語を通り超えて卑語とさえみなされている単語を使うのは,こうした危険を意識してのことだろうか。
それはともかく,マクロンと彼に近いスタッフが多くの英語を頻繁に使い,経営ニュースピークを駆使することは,大統領と国民の距離を縮めることには決して役立たないだろう。とくに,マクロンの当選から1年近くがたった2018年3月に発表したフランス国鉄SNCFの「改革」は,1980年代に日本で進められ,当時の国内おいて最も闘争的で反体制的であった国鉄労組の完全な解体につながった,「国鉄の分割・民営化」を想起させざるを得ない。フランス政府がこの改革を正当化するために展開している論理は,まさに経営者の論理に基づくものである。しかも,2017年秋の労働法典改革の時と同じように,SNCF改革も国会における詳細な討議を省略する授権法loi d’habilitationのみの審議による政令ordonnanceによるものとされているために,反対運動もマクロンの当選以降ではもっとも大規模なものになる可能性がある。

8. ニュースピークの変遷
ここで冒頭に引用した,ブルディユーとヴァカンが2000年5月の『ル・モンド・ディプロマティック』に発表した文章に戻ってみたい。そこで二人の筆者がニュースピークあるいは「新しいグローバル普及言語」と呼んだものに含まれていた単語は,ほとんどすべて,たとえ最初は英語であってもフランス語に訳されたものだった。もっとも典型的なものを挙げると,「グローバル化mondialisation」,「柔軟性flexibilité」,「ガバナンスgouvernance」,「雇用されうる能力(エンプロワイアビィティ)employabilité」,「アンダークラスunderclass」,「排除exclusion」,「ニューエコノミーnouvelle économie」,「ゼロ・トレランスtolérance zéro」,「共同体主義communautarisme」,「多文化主義multiculturalisme」,「ポストモダンpostmoderne」,「エスニシティethnicité」,「少数派minorité」,「アイデンティティーidentité」,「細分化fragmentation」などである。
日本語では英語がそのままカタカナで使われたり,訳されているとしてもいかにも「こなれていない」日本語になっていたりする単語まで,多くがフランス語として普通に通用する訳を与えられている(もっともemployabilitéとかgouvernance,multiculturalismeは,もともとフランス語として持っていた意味とは異なる意味で使われている。またunderclassにはquart-mondeというフランス語訳を充てることが可能ではあるが,両者の意味は部分的にしか重ならない)。ここでより注目に値するのは,ブルディユーとヴァカンが挙げているニュースピークがほぼすべて,20世紀の最後の25年間に顕著になり,21世紀に入ってもなお全盛を誇っている「新自由主義経済néo-libéralisme」を象徴する用語であることだろう。ブルディユーらはこの「新自由主義革命」に対する批判を隠していない。その論旨を要約すると次のようになる。「新自由主義を標榜する人たちは,『(自由)市場の合理性』とか,『(文化的)アイデンティティー」を認知する必要,『(自己)責任』の再確認といった概念について,それらが歴史の中に張り巡らす根っこを消し去り,世界全体に広げ,グローバル化している。これらの常套句は,メディアで繰り返されるあまり,ついには一般常識になった。それらがフォード主義やケインズ主義が過去のものとなったアメリカ社会という,特異な歴史状況の中における複雑であり,批判の対象ともなっている現実を映し出しているにすぎないことが忘れられている。このアメリカ社会は今や,福祉国家の解体と,それに付随する刑罰的国家の異常発達,労働組合運動の粉砕,『株主価値』を唯一の基盤とする企業概念の圧倒的な支配,不安定雇用と社会的不安の拡がりなどを特徴としている。*」相当に難解な文章だが,これでも原文よりはかなり読みやすくしたつもりである。
ブルディユーとヴァカンは,ただ経済分野における新自由主義に対する反対を明らかにしているだけではない。彼らの主な関心はアメリカの大学,さらにはそれを超えてアメリカ社会全般を特徴づけている,「多文化主義」に向けられている。彼らによれば,この語の意味はヨーロッパとアメリカで微妙に異なっている。すなわち,ヨーロッパにおける「多文化主義」は市民生活において多様な文化の共存を認めることを意味しているが,アメリカでは黒人の疎外が現在でもなお続いていることや,「アメリカン・ドリーム」の危機を指しているのである。そして,そうした「多文化主義」は「グルーピズム(集団主義)」,ポピュリズムおよび道徳主義という,アメリカの国民的考え方に固有の欠陥に結び付く。
9. ブルディユーの時代と現在 ニュースピークの違い
「グローバル化」という概念についても,それがアメリカの圧倒的な力をあたかも自然の法則に沿う必然のように見せる,文化的エキュメニズムないしは経済的な宿命のように見せる役割を果たしているというのが,ブルディユーらの考えである。
このような主張は,とくに1990年代にブルディユーが極めて政治的な発言を繰り返したことを考えれば,不思議ではないかもしれない。ただし,当時は保守的論客からの批判にのみさらされていたこうした主張が,今やごく限られた少数派から支持されるだけになり,ブルディユーらが批判したグローバル化や経済的合理性,自己責任,アイデンティティーなどの語や考え方が広く常識として受け入れられていることは疑えない。ただ,もっぱら言葉の問題から考えるとき興味を引くのは,今から30年近く前にはその多くが英語そのままではなく,可能な限りフランス語に訳して用いられていた「ニュースピーク」用語が,現在では英語のまま用いられているだけでなく,英語を使うことが一種のステータス・シンボルになっているという事実である。
こうした「言語的エリート主義」と政治的ポピュリズムがどこまで共存できるのか。現時点ではまだ判断が難しい。しかし,「ニュースピーク」を操る人々と,大都市郊外や農村で社会的な疎外を日常的に肌で感じている人々との間には,大きな溝があることは否定できないはずである。**
*これは原文をかなり大幅に要約したものである。原文は次のとおりである。
Outre l’effet automatique de la circulation internationale des idées, qui tend par la logique propre à occulter les conditions et les significations d’origine (3), le jeu des définitions préalables et des déductions scolastiques substitue l’apparence de la nécessité logique à la contingence des nécessités sociologiques déniées et tend à masquer les racines historiques de tout un ensemble de questions et de notions — l’« efficacité » du marché (libre), le besoin de reconnaissance des « identités » (culturelles), ou encore la réaffirmation-célébration de la « responsabilité » (individuelle) — que l’on décrétera philosophiques, sociologiques, économiques ou politiques, selon le lieu et le moment de réception.
Ainsi planétarisés, mondialisés, au sens strictement géographique, en même temps que départicularisés, ces lieux communs que le ressassement médiatique transforme en sens commun universel parviennent à faire oublier qu’ils ne font bien souvent qu’exprimer, sous une forme tronquée et méconnaissable, y compris pour ceux qui les propagent, les réalités complexes et contestées d’une société historique particulière, tacitement constituée en modèle et en mesure de toutes choses : la société américaine de l’ère postfordiste et postkeynésienne. Cet unique super-pouvoir, cette Mecque symbolique de la Terre, est caractérisé par le démantèlement délibéré de l’Etat social et l’hypercroissance corrélative de l’Etat pénal, l’écrasement du mouvement syndical et la dictature de la conception de l’entreprise fondée sur la seule « valeur-actionnaire » , et leurs conséquences sociologiques, la généralisation du salariat précaire et de l’insécurité sociale, constituée en moteur privilégié de l’activité économique.
Il en est ainsi par exemple du débat flou et mou autour du « multiculturalisme » , terme importé en Europe pour désigner le pluralisme culturel dans la sphère civique alors qu’aux Etats-Unis il renvoie, dans le mouvement même par lequel il les masque, à l’exclusion continuée des Noirs et à la crise de la mythologie nationale du « rêve américain » de l’« opportunité pour tous » , corrélative de la banqueroute qui affecte le système d’enseignement public au moment où la compétition pour le capital culturel s’intensifie et où les inégalités de classe s’accroissent de manière vertigineuse. Pierre Bourdieu et Loïc Wacquant : « La nouvelle vulgate planétaire », Le Monde diplomatique, mai 2000, pages 6 et 7
**この点について,マクロンが大統領に当選してからフランスの一部マスコミで用いられるようになった,字面だけを見てもすぐにはその意味が理解できない表現がある。(théorie de) ruissellementがそれである。これも実はサプライサイド経済学économie de l’offreの中心的な思想の一つとみなされているもので,日本では一般に英語をそのままカタカナにして「トリクルダウン理論」というが,専門家の間では「均霑理論」という呼び方もある。ごく単純化して言えば,「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる(トリクルダウンする)」という考え方に基づいている。日本でも,「アベノミクス」の特徴とされているが,一般報道紙で取り上げられたことはほとんどないように思える。新自由主義が世界を席巻し始めた1970年代終わりごろから,この考え方が大部分の資本主義国で多少なりとも主流になってきたが,それが言われているような効果を発揮した例はない。その理由としては,新自由主義の必然的な結果である社会格差の深刻化を挙げることができる。また,伝統的な産業が環境面における壁に突き当たっている一方で,新しい産業とみなされる活動が,雇用の増大につながらないどころか,むしろ短期的には雇用破壊をもたらしているという事実もある,そしてまた,富の偏在に伴って,少数派が資産をますます蓄積することは,必ずしも新たな富の生産につながらない。
ところで,マクロンは2017年10月にテレビ局TF1とのインタヴューで,「(ザイルで互いに結ばれた)登山パーティーの先頭に立つものpremier de cordée」という言い回しで,トリクルダウン理論を擁護しているかのような発言をした。フランスのマスコミでruissellementという語がこの意味で使われるようになったのは,これがきっかけの一つになったと想像される。多くの解説者から批判されたにもかかわらず,大統領はこの考え方に強い執着を見せている。たとえば,2018年3月,同じテレビ局と行ったインタヴューでも,ruissellementという語そのものは使わなかったとはいえ,premier de cordéeという表現を再び用いて,基本的に富裕層の資産を増やすことが社会全体を富ませることにつながる,という考えを変えていないことを示した。
第1回 1. Novlangueという語 2.「経営ニュースピークnovlangue managériale」
第2回 3. Disruptionという言葉 4. Disruptionの使われ方
第3回 5. Euphémisation – 経営ニュースピークのもう一つの特徴 6. ニュースピークの流行と複数のフランス語

著者 : 彌永 康夫 エコール・プリモ講師。1965年~2000年在日フランス大使館広報部に勤務し、歴代の大使をはじめ、大統領、首相、官僚など、訪日するフランス要人の通訳をこなしたほか、膨大な量の時事日仏翻訳を担当、日仏間の相互理解の促進に努める。
夏学期講座受講生募集中!
Ecole Primots トップページ